ピーター・バラカンさんに聞く “音楽映画の魅力”
ピーター・バラカンさんに聴く
“音楽映画の魅力”
去る2023年10月9日にCAFÉ GATIにて音楽とトークのイベント「FOUNDATION」の第2回を開催しました。ゲストにブロードキャスター、ピーター・バラカンさんをお迎えし、映画『ジャズ・ロフト』 (9月に開催された「Peter Barakan’s Music Film Festival2023」でもアンコール上映)の上映と、その後、VALERIA代表の小倉聖子さんを交えトークショーを行いました。
話は映画の内容にとどまらず、映画祭のリアルな運営事情から他の映画や音楽の話、当時のミュージシャンを取り巻く環境、など多様な話をしていただきました。とても貴重な話をいただいたので、ここに掲載いたします。
後日、後編の掲載も予定しております。
(聞き手:森波実行委員/CAFÉ GATI店主 柴田道文)
柴田道文(以下:柴田):それでは乾杯からスタートしたいと思います。去年でしたっけ? 日経新聞の「食の履歴書」という記事で、バラカンさんが最後の晩餐は、イカ刺しと宮城の日本酒「乾坤一」とおっしゃっていたという。ですので今日は宮城県は村田町の銘酒「乾坤一」をご用意しました。
ピーター・バラカンさん(以下:バラカン):素晴らしい。嬉しいな。
柴田:なのでイカ刺しもお出しするか?って裏で話してたんですけど、さすがにそれはやりすぎだろって話になりまして・・何せ最後の晩餐ですからね。(笑)ぜひ今日は “もっきりスタイル” でグッといってください。ところでピーターさんの「乾坤一」との出会いは何だったんですか?
バラカン:仙台の酒屋さんでね。佐々木健一さんという方がいまして。
柴田:あ!「いづみや」さんですね!
バラカン:そうです、そうです。彼に勧められて飲んだのが始まりでした。すごく気に入って。
柴田:そういうことでしたか。それでは乾杯したいと思います。改めましてバラカンさん、本日はよろしくお願いいたします!乾杯〜!
バラカン:おいしい!
柴田:あとご紹介遅くなり申し訳ありません。おとなりがVALERIA代表の小倉聖子さんです。今日はよろしくお願いたします。
小倉聖子さん(以下:小倉):はじめまして。
柴田:小倉さんは、Tシャツ着ていらっしゃいますけど、先月まで角川キネマ有楽町でやってた、バラカンさんがキュレートする「Peter Barakan’s Music Film Festival」の、主催者ということでよろしいですかね?
バラカン:事務局に3人いますけれど、その中で小倉さんがそもそも僕にこういうフェスティヴァルをやらないか、と提案してくれて、それが2021年でした。まだコロナ中だったから、映画館は一席おきに×が入って人が座れないっていう状況の中でやってましたけど。今日上映した『ジャズ・ロフト』は1年目のフェスティヴァルで上映した作品の1つでした。毎回、音楽映画祭のために権利を取る作品がいくつかあるんですけど、運良くこれはけっこう長期的に取れました。この作品は何回もあちこちで上映しているんですけど、絶対に飽きない映画です。皆さん、今日初めてご覧になりました?多分ほとんどの方がそうかと思いますけど、この手のドキュメンタリーはものすごい情報量だから、あと5回ぐらい観ないと。(笑)
サプライズ!? 大沼社長登場
柴田:あ、バラカンさん、すみません、話の途中でいきなり差し挟むのですが、今日ですね、じつは「乾坤一」の大沼酒造店社長、大沼健さんに来ていただいているので、ちょっと紹介させてください。こちら大沼さんです!
バラカン:どうもどうも。
(会場大盛りあがり)
大沼健さん(以下:大沼):宮城県村田町で「乾坤一」というお酒作っております、大沼酒造店の大沼といいます。宮城へようこそ。
バラカン:ありがとうございます。
大沼:自分はバラカンさんが「乾坤一」を飲んでるっていうのは全然知らなくて、日経の記事の中で最後の晩餐っていうので、イカ刺しと乾坤一特別純米辛口があればいい、っていうのが書いてるのを知り合いから連絡いただいて、普段、連絡よこさないような親戚とかが急に連絡をよこして、ファックスよこしたり、メールをよこしたり、「バラカンさんが乾坤一好きだって言ってるぞ!」って言われたりしてました。そういうことがあり、自分の中では嬉しいなと思ってたんですけど。
柴田:バラカンさんのファンの方からも問い合わせがあったようですね?
大沼:そうですね。ラジオとかでも多分言っていただいてたと思うんですけど、他の蔵元さんから嫉妬されて。(笑)山形の蔵元さんとかから連絡いただいて、「乾坤一うらやましいなぁ」って言われて。いや、でも飲んでいただいて非常に嬉しいです。ありがとうございます。
バラカン:いやいや、こちらこそありがとうございます。
(会場拍手)
ユージーン・スミス、セロニアス・モンクにまつわるエピソード
小倉:それでは、ちびちびいただきながら、トークを進めていきましょう。
今日観ていただいた『ジャズ・ロフト』ではユージーン・スミスっていう人のすごい情報量を撮影していたんですが、『MINAMATA』っていう映画がありまして、それご覧になった人っていらっしゃいます?あのオープニングで、まさにあのジョニー・デップ演じるユージーン・スミスがいたところがこのロフトですよね。
バラカン:そうそうそう。富士フイルムのコマーシャルの仕事で訪ねるんですよね。その訪ねたところが、あの立ち退きになる直前ぐらいのこのロフトだったんですね。この映画で描かれているのは、その65年までのところで、多分それは最後の方で、ナレーションで言ってたように、もうジャズシーンが細分化して、あまりまとまりがなくなっていたから、おそらくあのロフトに来る人は少なくなったんでしょうね。
小倉:でも、あんなところがあるっていうのが、ニューヨークっていうか、お花の問屋街だからこそ、あんだけ音も出せたし、朝までああやって遊べたってことですよね。
バラカン:そうですよね。だから「ロフト・ジャズ」という言葉が70年代にあったんですけど、それはまさにニューヨークのダウンタウンの方なんですけど。70年代の半ばぐらいですかね。あの頃はたぶん、ロフトに住むことも許されていたのかもしれません。ブライアン・イーノなんかも一時期、ニューヨークのダウンタウンのロフトに住んでる時があったぐらいです。とにかく50年代は、住んじゃいけないところだったから、めちゃめちゃ安かったんでしょうね。汚いし、臭いし、だいたい出口がどこにあるかまず確認するって、あのセロニアス・マンクのマネージャーが言ってましたよね。
話したいことがいっぱいある映画なんだけど、さっきの情報量のことで思ったんだけど、普通の劇映画って案外ストーリーが単純なんですよね。そうじゃないと人がついていけない。途中であれ?どうなってるの?っていうふうになってしまうんだと思う。だから、こういうドキュメンタリーって、特にユージーン・スミスの映像がごく少ないものしかないから、ほとんど写真で構成していますよね。で、写真を見ながらカメラがズーム・インしたり、ズーム・アウトしたり、なめたり、いろんなそういう技術を使いながら、すごいんですよ、やってることが。なぜか今日、後ろの方に座って観たんですけど、上に投影していたからかな?今日はわりと客観的に見られた。いつも没頭しちゃうけど。(笑)
小倉:でも、あのオーバートンとセロニアス・モンクの楽曲が、ここで作られてたっていうのは、ほんとこの映画見るまで知らなかったんで。
バラカン:いや、あれはすごい話だったね。しかも3週間、ユージーン・スミスがずっと、自分が住んでいた同じ階の壁を隔てた向こうとはいえ、そこにテープ回しっぱなしにしてたっていうのは、病的だったんだな。何に使うっていうわけでもないのに、とにかく回してないと気が済まないんだろうね。でもクリエイターってどっか普通の人と違うところがあるからこそ素晴らしい作品が生まれるものだろうと思うけれどね。
あの1つ面白いなと思ったのは、彼は自分が撮った写真のコントロールを自分でしたいから、編集部といつもケンカしてたっていう話が出てましたよね。あの時代、特にLIFEみたいなすごく有名な雑誌だったら、取りっぱなしでフィルムを渡したらあとはもう全部向こう任せで、それがもうそういうもんだと、写真家はみんな思ってて。疑問に思ったとしても、誰も何も言わないっていう。当時はおそらく音楽も全く同じ状況だったと思いますね。
僕が70年代に日本に来た時も、ニュー・ミュージックというものがちょうど誕生したばかりだったんですけど、歌謡曲の世界はまだ作詞家がいて、作曲家がいて、編曲家がいて、スタジオ・ミュージシャンがいて、トラックが全部出来上がったところで、最後に歌手がスタジオに入って、歌だけ歌うっていう、そういう世界だったんですね。50年代のアメリカもほとんどそうだったと思います。レコード・プロデューサーが絶対的な権力を持っていた。そういう時代が何で変わったかって言ったら、ビートルズで変わったと思いますね。彼らももちろん、ジョージ・マーティンというプロデューサーはいたけれど、でもやっぱり彼らは自分で曲を作って、自分で演奏して、スタジオ・ミュージシャンはめったに使わない。それで1つの大きな革命が起きたんですね。で、ユージーン・スミスが所属する、マグナムという写真家のエージェンーの話が出ましたよね。あれは有名な組織ですけど、あのマグナムというのは、まさに写真家たちが独立して、自分が撮った作品を、自分でちゃんとコントロールできるようにできたものですよね。
小倉:映画の中にいたモンクも、ほとんど自分の稼ぎないっていうぐらいの状況だったようで。やっぱり差別があるからいろいろできないこともあったし。
バラカン:マンクの場合は、例のキャバレー・カードの話が出ましたが、皆さん、あれはよくわかりました?僕がこの映画を見て初めて知ったのは、戦時中にあの制度ができたということ。要するに、お酒を出しているところにもしスパイがいたら、いろんな情報がバレるかもしれないから、そういうお酒を出している店で、誰が働いていいかということを全部登録制にして、本当の名称は違うんだろうけど、キャバレー・カードというふうに呼んでました。で、戦争が終わってもその制度は続いたんですね。それはね、マンハッタンのお酒を出しているクラブだけの制度なんです。たいていジャズ・クラブっていうのは、小さな店でお酒を出しているから、ジャズ・ミュージシャンもそういうところで働くために、そのカードが身分証みたいなものとして、必ず持ってないといけない。
で、セロニアス・マンク自身はね、あまりドラッグをやってなかったと思うけれど、彼がすごく仲良くしていたバド・パウエルっていうもう一人のビバップの伝説のピアニスト、このバド・パウエルは、多くのミュージシャンと同じように、ヘロイン中毒だったんですね。ある時、バドとセロニアスが一緒に車に乗っていて、警察に止められました。
で、職務質問されたけれど、そこでバドが持っているヘロインがあって、バドはもう何度か捕まっている人だから、ここで捕まると必ず刑務所に入るっていうことを、セロニアスが瞬時に判断して、バドのドラッグを自分のポケットに、入れたかなんか細かいことを忘れたけど、そこで身元をちょっと捜査されてその薬が出てきた。で、セロニアスは初めてだから、刑務所には入らなかったけど、そのキャバレー・カードを取られちゃったんです。自分のドラッグじゃないのに自分が犠牲になって、あれで何年だっけな。6年だか7年だか結構ね、長期にわたってマンハッタンのジャズ・クラブで、彼が仕事できなくなっちゃったんですね。で、そういう時に、他のジャズ・ミュージシャンが気を利かせてブルックリンだとか、マンハッタンより外のところに呼んでくれて、仕事をさせたりとか。あと、ニューヨーク以外では時々仕事をするけれど、50年代のジャズといったら、圧倒的にニューヨークの仕事が多いから、事実上、仕事ができなくなっちゃったんですね。
で、しかもセロニアス・マンクという人は、一般的にみんなから認められたのは意外に遅かったんです。多分、60年代に入ってからかもしれません。だから、あのタウンホールのコンサートは、1つの大きなきっかけになっているのかもしれませんね。最初、デビューした時はね、あまりにもその和音の作り方が他と違うから、こいつは下手くそだとか、ピアノが弾けないとか、いろんなとんでもないことを言われてて。ジャズの当時の批評家っていうのも、まだモダン・ジャズが誕生したばかりの音楽だったし、理解があまりなかったんですね。60年代半ばぐらいになるとね、タイム誌の表紙を飾るほどの人物になるんですけど、この映画で描かれている時期は、まだまだあまりお金がなかった時代ですよね。
小倉:じゃあ、この後ですかね、モンクがパトロンを抱えるっていうのは?
バラカン:そうですね。ドイツ人の貴族の女性ですよね。彼女が彼のパトロンになって、彼女の家にしばらく住んでたんじゃないのかな?恋人のような関係は全然なかったんですけど。マンクはむしろ奥さんがすごく世話好きな人でね。彼は奥さんに頼り切ってた感じはあるんですけど、そのドイツ人の「ニカ」ってみんなを呼んでいた人が、金銭的にはね、世話していたんですね。
小倉:だから、そういう人たちがいないと、ジャズ・ミュージシャンがやっていけなかったっていう状況はあったんですよね?
バラカン:というところもありましたね。特にビートルズが出てきたあたりでね、それまで仕事がもっと多かったジャズ・ミュージシャンは一気に仕事が減っちゃったっていう状況だったらしいです。60年代半ばですね。なのでツアーで例えばフランスに行ったり、ヨーロッパを回るわけです。アメリカでは特に黒人のミュージシャンは、もう永久的に2級市民の扱いだったんです。ニューヨークはまだいいけれど、南部なんか行くと、自分が働いているホテルに泊まれないとか、あるいはレストランには入ろうとしても入れないとか、そういうことがざらにありましたね。公民権法ができるのは64年ぐらいですけど、法律ができても、すぐにはすべてが変わるというわけではなかったですね。それでヨーロッパへ行くとね、その黒人のミュージシャンたちはみんな尊敬してもらえるものだから、結構ヨーロッパに住みついちゃったジャズ・ミュージシャンがいましたね。フランスだったり、イタリアだったり、北欧だったり、いろいろなんですけど。
小倉:ビリーとかあの時代も同じですよね。この映画では出てこないんですけど、ビリー・ホリデイとかもちょうど同じぐらいの時代で、彼女もずっと差別を受けていたっていう。
バラカン:彼女ももちろん差別を受けてて、彼女の場合は「Strange Fruit(奇妙な果実)」という歌をずっと歌い続けたためにFBIににらまれて、あれは何行為っていうのか、まあ、いじめですよね、要するに。それが彼女の命を取ってしまうぐらいのことになってしまいました。『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』という劇映画があります。
小倉:映画上映って権利を買うんですよね。ライセンスって言って、映画館とかDVDとか、そういう配信とかの権利を全部買うんですけど、それを全部買わないと映画祭で上映する作品としては、実は元が取れないので、一回いくらっていうやり方をしてると、日本語字幕を作る都合上、全然割に合わないんですよ。だから、我々はまとめて権利を買うっていうので、こういう『ジャズ・ロフト』とか、セロニアス・モンクの映画とかもやってます。
バラカン:はい。あとさっきあの小倉さんが言った『BILLIE ビリー』っていうドキュメンタリーも素晴らしいものがあります。ビリー・ホリデイに関するものです。まあ、詳しく言い始めるとすごく時間かかっちゃうから、また後日ここでやりましょう。
柴田:ぜひよろしくお願いします!!
(会場拍手)
聞き手からの勝手な報告
柴田:私たちは年一回、地元の能舞台で「森波(しんぱ)」という音楽のイベントをやっておりまして、それに今年、臼井ミトンさんに出演していただきました。で、ミトンさんはTBSラジオの金曜ボイスログという番組のナビゲーターをされてて、先日、バラカンさんの映画祭の勝手に宣伝放送、みたいなことをなさってました。『エチオピーク』と『ルーツを掘る アーフーリー・レコード物語』と5本ぐらい薦めてて、その中で最も良かったのが『ジャズ・ロフト』で、もうここ何年かで一番感動した、と先日のラジオでおっしゃってました。さっきバラカンさんがおっしゃったように、ミュージシャンの性(さが)というか、ユージーン・スミスはカメラマンですけど、クリエイターの何とも言えない人種というか、ちょっとマッドじゃないですか。もう狂ってるとしか言いようがない。でも、そういう人たちが時代を変えるクリエイションを生むっていう。それを良いとか悪いとかじゃなくて、淡々と『ジャズ・ロフト』はそれを描いてて、ご本人ももちろんミュージシャンなので、すごく感動したと、、、要約するとそんなことをおっしゃってました。
勝手に報告でした。(笑)
ドキュメンタリーが時間と空間を超越する瞬間
バラカン:彼のロフトの窓からずっと撮り続けて、ほぼ同じようなところを何十回も何百回も撮ってるんだけど、映画で見るそのスティル写真の、日常生活の1秒の描写なんだけどね。あの時代のニューヨークのあの場所を知らない我々がそれが見られるっていうだけでも、なんかすごく貴重な感じがあるんですよね。この前も他のドキュメンタリーのことをちょっと原稿に書いてて、やっぱりね、その何気ない描写がね、1つ1つ全部ね、自分が知らない時代、知らない場所…あぁそうだ、レゲエの世界を描いた『バビロン』のことを書いてたんだ。
例えば、ロンドンのジャマイカ系の人たちの生活なんか、同じロンドンに住んでいてもね、彼らの社会の中で生きてるわけじゃないから、映画を見て、あっ、そうか、自分たちの生活と違うなっていうところ、すごく面白い。
小倉:ああ、そうですか、家の中とか、あの雰囲気と街の感じとかもですかね?
バラカン:そうだね。その人付き合いとかちょっとした、ディテールがね。あ、独特なんだなっていうのはね、もう本当に面白い。
小倉:ピーターさんがイギリスにいた時も、もうやっぱりカリブ系の移民の方、ジャマイカ系の人とかもいたはいたんですよね?
バラカン:いっぱいましたよ。イギリスに大量にカリブ海から人が来始めたのは、終戦直後ぐらいだったから。僕の子供の頃はほとんどバスや地下鉄の車掌だったり、そういう仕事の人が多かったんだと思うけど。とにかく多かったですね。日本に来る直前、部屋を借りていたんですけど、その部屋があった家以外のあの通りは全部ジャマイカ人。それでも仕事が終わって部屋に帰るときにね、もちろんジャマイカ人が周りにいっぱいいるんですけど、彼らは彼らで自分たちの家で生活してて、僕は僕でその僕が住んでる家だけが白人の家だったから、ちょっと変わった状況でした。べつに危ないことは全くなかったんだけど、自分がマイノリティーのような、そんな面白い体験でしたね。
イギリスにおけるジャマイカ系移民の存在、差別と抵抗
小倉:今回こちらではやってないんですけど、映画祭でもイギリスのジャマイカの人たちを描いた映画っていうのも、何本か上映してて、こちらでもいつかぜひやれたらいいですね。
柴田:絶対もうやりたいです!!
あの、ネットフリックスで観れる『トップボーイ』ていう、ジャマイカ系移民のイギリスのドラマ、ご覧になってますか?簡単に言えば、ジャマイカ系移民の裏社会を描いてまして、イギリスって銃はダメじゃないですか。そうするとその暗躍する人たちのムーブっていうのが、アメリカのドラマと違う感じがしたんですね。暴力の表現がそのトップボーイ観てると、アメリカのようにドンパチやる感じがなく、逆にギリギリまで人間を追い込んでいったりする感じが印象的でした。で、また音楽とかもすごくいいですし。
バラカン:あ、それ観よう。『トップボーイ』ね。
小倉:なんかイギリスっていうと、大体一般的になんかパンクとかロックとか、そういうイメージずっと続いてたじゃないですか。だから、やっぱりそのパンクからも出てきた運動で、例えばレゲエをずっと応援して、それこそ『白い暴動』という映画がありまして、そういうパンクシーンの人たちも、黒人とかインド人を差別しないように歌で平等をアピールしようっていうムーブメントもあったりとか。
柴田:それでいえば、映画祭で上映してた『Dance Craze / 2TONEの世界 スカ・オン・ステージ!』もですよね。
小倉:ピーターさん、その時代はもう東京ですか?
バラカン:僕はもう東京にいましたね。ある意味残念だね。あのRock Against Racism (RAR)とか。まあ、一方でね、そんなもうひどい右翼のね、The National Front (NF)っていう組織があって、それが幅を利かせていたからこそ、Rock Against Racismという若者のあの動きが出てくるんですけど。でも、あの時代の音楽をリアルタイムで、現地で体験したかったね。
小倉:でもピーターさん、スキンズに追いかけられたから、ちょっと怖いって言ってましたよね?(笑)
柴田:あ、おっしゃってましたね!先日の映画祭の『Dance Craze』上映の後に。あのスキンヘッドのスカリバイバルのやつらだけは勘弁してくれ、みたいなことをおっしゃってた。(笑)
バラカン:あのバッドマナーズの彼ね。あの格好を見たら、うーん、もうイヤで・・
柴田:カツアゲみたいなことされたそうで。(笑)
バラカン:怖かった。(笑)
まあそれは60年代のスキンヘッドだね。でもね、もうトラウマになっちゃったね。
小倉:まあでもね、かたやアメリカではそういう黒人差別もあって、まあその後っていうか、その同時期ぐらいでイギリスでも同じく差別がひどかったっていうのは、結構あんまり知られてないのですよね。
柴田:そこであの『Small Axe』の話ですね。あれを観て一番そう思いました。イギリスでもこんなことがあったんだと。スティーブ・マックイーン監督。
バラカン:あれは素晴らしいね。『Small Axe』という総合タイトルで、スティーブ・マックイーンという監督が作った5本の、どれも作り物ではあるんですけど、ほとんどドキュメンタリーに近い作りで、主にロンドン在住のジャマイカ系の人たちの生活を描いたものです。60年代の終わりから80年代前半ぐらいまでのスパンで、素晴らしいです。本当はね、我々の音楽映画祭で一度でもいいからやらせてほしいと思ってて、多分無理だろうけど。スティーブ・マックイーンは最初から配信だけでやるっていうことを決めてたみたい。
小倉:でもNHKだといいんですよ。テレビだったらやってもいいよって彼は言ってるんです。だけど、NHKは絶対やってくれないですよね。
柴田:『Small Axe』の俳優陣がさっき言った『トップボーイ』にけっこう出てますね。『Small Axe』を観てラヴァーズ・ロックっていうジャンルはこういうふうに受け入れられ、こういう現場で、彼らの楽しみであり、なんか痛みを和らげるような音楽だったんだなぁとか。いろいろ感じました。で一番印象的だったのが、すごい長尺なシーンありましたよね?
バラカン:はい、あの「Silly Games」のところでしょう?
柴田:そうですそうです。あの長回しの映像。これは演技なのか、いったい何を観せられてるのか分かんないような。
バラカン:これは後から読んだんですけど。この『Lovers Rock』という映画があって、ジャマイカ系のロンドンの若者たちが、誰かの家でダンス・パーティーをやってる。
小倉:『Small Axe』一部ですね。
バラカン:そう、その『Small Axe』の5本のうちの1本なんです。1時間ぐらいの短めのものですけど、たわいのない話なんだけど、人の家で若者たちがダンス・パーティーをやっているんです。これ1980年くらいだと思います。ラヴァーズ・ロックと呼ばれたポップなレゲエ。イギリスでできたジャンルですけど、そのラヴァーズ・ロックで大ヒットしたジャネット・ケイという女性が歌う「Silly Games」という曲があって、そのパーティーで、サウンドシステムと大きいスピーカーを持ち込んでて、DJがその曲をかけると、若者たちはみんな踊りながら一緒に歌ってるんです。ちょうどヒットしてた頃だし。で、レコードが終わってもみんな歌い続けている。延々とアカペラでその歌を歌うシーンは実に感動的です。台本にあったわけじゃないんですって。本当にみんながあの場で自発的に、ああいうふうになったんだって。そしたら、これが素晴らしいから、監督が止めないでそのまま回して映画に使ったっていう。いや、あれはすごいね。
小倉:なんか、オバマ大統領もあのシーンがすごい感動したって言ってましたよ。(笑)だから意外とああいうね、音楽の聴き方をしてるっていうのって、私たちは知らないから、やっぱり映画とかを見るとこう、いくら演技してるとはいえ、そういう事実っていうのが観れるのは嬉しいですよね。
柴田:あの『Lovers Rock』の物語の背景にあるのが、ジャマイカ系移民の10代の子たちがサウドシステム持ち込んでホームパーティーをやってるところに起きた放火事件なんですよね?それでかなり人が亡くなったっていう痛ましすぎる事件。
バラカン:あの映画に出てくるんだっけ、その話?
柴田:『Lovers Rock』では触れてないんですけど、『Small Axe』の他の作品に出てきますよね。ほんとにえげつない差別があったんだな、と思いました。
小倉:そうなんですよね。最近アメリカで、ブラック・ライブス・マターっていう言葉が出てきたと同時に、実はイギリスでも、こういうジャマイカ系、カリブ系の人達に対する差別があったっていうのは、やっと出てきたって感じなんですよね。私たちが上映した『Babylon』っていう映画は、まさにそれで、41年ぶりにやっと権利を取って上映できることになって、実はアメリカでは全く同じ状況だったんで、イギリスでは封印されてたっていうことなんですよ。だから、スティーブ・マックイーンも『Small Axe』を撮るときに、イギリス人にも差別があったってことを撮りたいっていうことで、頑張ってお金集めして撮ったっていうのは、インタビューで言ってました。
バラカン:今日上映したものとは全然違う話に脱線してますけど。(笑)
柴田:だいぶいい感じです!
小倉:ジャズのファンの方がいらっしゃったら、申し訳ないんですけど。(笑)
(後編に続く)
1951年ロンドン生まれ。ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。現在フリーのブロードキャスターとして活動、「バラカン・ビート」(インターFM)、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)、「ライフスタイル・ミュージアム」(東京FM)、「ジャパノロジー・プラス」(NHK World)などを担当。著書に『Taking Stock どうしても手放せない21世紀の愛聴盤』(駒草出版)、『ロックの英詞を読む~世界を変える歌』(集英社インターナショナル)、『わが青春のサウンドトラック』(光文社文庫)、『ピーター・バラカン音楽日記』(集英社インターナショナル)、『魂(ソウル)のゆくえ』(アルテスパブリッシング)、『ラジオのこちら側』(岩波新書、電子書籍だけ)、『ぼくが愛するロック 名盤240』(講談社+α文庫、電子書籍だけ)などがある。2021年からPeter Barakan’s Music Film Festival(https://pbmff.jp/)のキュレイターを務める。
ウェブサイトは https://peterbarakan.net/
小倉 聖子
1980年東京下町生まれ。ロサンゼルスの語学学校卒業後、日本の映画・制作・配給会社にて勤務。メディアプロモーション、広告宣伝などの仕事をした。その後、外資系大手にて1年でパブリック・リレーション業務を行う。また映画業界に戻り、映画制作宣伝の業務+ドキュメンタリー映画のメディアや評論家へのプロモーションを行う。そして2007年に現在のVALERIAとして個人レーベルを立ち上げ、フリーランスとして映画のプロモーションをしつつ、映画祭のオーガナイズ、各種イベントのオーガナイズを行う。現在はフィンランドを代表する建築家アルヴァ・アアルトの人生を描いたドキュメンタリー『AALTO』のPRプロデューサー、またピーター・バラカン音楽映画祭と、ポーランド映画祭の主催も続けている。2019年に写真家でもある夫マチェイ・コモロフスキとの共著「ワルシャワ、文化、今日」を出版。ポーランド文化を広める活動や、日本の伝統文化・和食についても勉強中。
Films:アカデミー賞作品『イーダ』、 『AMY エイミー』他、ノミネート作品『COLD WAR あの歌、2つの心』、『ブータン 山の教室』も宣伝プロデュース。またセロニアス・モンクのドキュメンタリー、『BILLIE』、『ジャズ・ロフト』、『さらば青春の光』、『男と女』、『THIS IS ENGLAND』、など音楽系の映画作品にも携わる。
Soul delivery インタビュー
Soul delivery インタビュー
10月28日(土)に韓国のインストゥルメンタルバンド、Soul Deliveryをゲストにパーティーを開催しました。
10月25日は”KOREA SPOTLIGHT”@渋谷Spotify O-EASTでR&Bシンガー、SOLEのバックで演奏。26日は横浜Grassroots、27日が日吉Bar TransitでSoul Deliveryとして演奏。両日ともに日本を代表するキーボーディスト、森俊之さんが共演するという、素晴らしい2日間になったようです。
初の日本公演を終えての感想をうかがってみました。帰り際の短い時間でしたが、いろいろ気付かされることがあり、とても充実した時間となりました。そして、ここから彼らとの文化交流が始まることを確信しました。
10월 28일(토)에 한국의 인스트루멘탈 밴드 Soul Delivery를 게스트로 파티를 개최하였습니다.
10월 25일은 “KOREASPOTLIGHT”@시부야 Spotify O-EAST에서 R&B 싱어, SOLE의 백밴드로 연주 했습니다. 26일은 요코하마 Grassroots, 27일이 히요시 Bar Transit에서 Soul Delivery로 연주. 양일 모두 일본을 대표하는 키보디스트 모리 토시유키 씨가 함께 출연하는 멋진 이틀이 된 것 같습니다.
첫 일본 공연을 마치고 소감을 들어봤습니다. 돌아오는 길의 짧은 시간이었지만, 여러가지 주목받는 것에 있어 너무 충실한 시간이 되었습니다. 그리고 이제부터 그들과의 문화 교류가 시작될 것을 확신했습니다.
Drum: SHINDRUM
Bass: Yonghoon Jeong
Keys: HAEUN
Guitar: Joon’s second Life
聞き手:柴田(森波実行委員会)
通訳:Youngeun
翻訳:RAN
撮影:真田(森波実行委員会)
듣는 사람 : 시바타
통역 : Youngeun
번역 : RAN
촬영 : 사나다
---渋谷でのイベントと横浜~登米のツアーはいかがでしたか?
---시부야의 이벤트와 요코하〜토요마투어는 어땠나요?
HAEUN (以下:H) (이하:H)
ツアーを通じて感じたことは、日本の人たちはK-POPへの関心が高く、それをきっかけにSoul Deliveryを知るようになるストーリーがとても不思議でした。こういったリスナーが音楽をとおして、韓国に行ってみたい、韓国の文化をもっと知りたい、とたくさん言ってくれたことがとても嬉しく、素晴らしい関係性ができたと思いました。韓国ではSoul Deliveryの演奏を聴きに来る多くの人たちは、私たちと同世代です。横浜から登米のツアーで感じたのは、先生のような年上の人たちがたくさん来て楽しんでいて、そういった文化が韓国内とは少し違うと思いました。そしてそのことは私たちにとって大きな学びになりました。
투어를 통해 느낀 점은 일본 사람들이 K-POP에 관심이 많았고, 그것을 계기로 Soul Delivery를 알게 되는 스토리가 너무 신기했습니다.이런 리스너들이 음악을 통해 한국에 가보고 싶다, 한국 문화를 더 알고 싶다고 많이 말해준 것이 너무 기쁘고 멋진 관계성이 생겼다고 생각했습니다. 한국에서는 Soul Delivery 연주를 들으러 오는 많은 사람들은 우리와 같은 세대입니다. 요코하마와 토요마 투어에서 느낀 것은 선생님 같은 연령대의 사람들이 많이 와서 즐기고 있고, 그런 문화가 한국과는 조금 다르다고 생각했습니다. 그리고 그 일은 우리에게 큰 배움이 되었습니다.
Yonghoon Jeong(以下:Y) (이하:Y)
KOREA SPOTLIGHTでは、確かにK-POPが好きな人たちが多かったのですが、私たちにオーディエンスが歓声をくれたり、好きになってくれることが不思議に感じました。そして、ツアー中に感じたことは、横浜、登米では多様な年齢の方が来てくれて、リアクションもたくさんいただいたことが感動的でしたし、とてもありがたかったです。そして、音楽を楽しんでいる人たちがこのようにたくさんいるんだ、ということを改めて考えました。
KOREASPOTLIGHT에서는 확실히 K-POP을 좋아하는 사람들이 많았는데, 우리에게 청중이 환호성을 지르고 좋아해주는 것이 신기했습니다. 그리고 투어 중에 느낀 점은 요코하마, 토요마에서는 다양한 연령대의 분들이 와주시고 리액션도 많이 해주신 것이 감동적이었고 너무 감사했습니다. 그리고 음악을 즐기는 사람들이 이렇게 많이 있구나 라는 생각을 다시 한 번 했습니다.
SHINDRUM (以下:S)(이하:S)
私は、韓国と似たように感じた部分があります。日本でも韓国でもK-POPを好きな人たちと、こういった私たちが好きな音楽、文化を楽しんでいる人たちの世代が違うと思いました。若い人たちはこういった文化を楽しむということが、苦手なのではと感じていています。いまに通じる、年上の方が体験してきた音楽や文化と、若い人たちとの間にギャップがあると思いました。でも、日本の人たちは多様な人たちが楽しんでいるように見えました。横浜で公演した時も先生たちのような人と、K-POPを好きで私たちを知って来た人たちが混ざり合って、何かを作り出している感じが私たちを楽しませてくれたと思っています。
저는 한국과 비슷하게 느낀 부분이 있어요. 일본에서도 한국에서도 케이팝을 좋아하는 사람들과 이런 우리가 좋아하는 음악, 문화를 즐기는 사람들의 세대가 다르다고 생각했습니다. 젊은 사람들은 이런 문화를 즐기는 것이 서투른 것은 아닐까 하고 느끼고 있습니다. 지금과 통하는 연상의 사람이 겪어 온 음악이나 문화와 젊은 사람들 사이에 갭이 있다고 생각했습니다. 하지만 일본 사람들은 다양한 사람들이 즐기고 있는 것처럼 보였어요. 요코하마에서 공연했을 때도 선생님들 같은 사람들과 케이팝을 좋아해서 우리를 알고 온 사람들이 섞여서 뭔가를 만들고있는 느낌이 우리를 즐겁게 했다고 생각합니다.
Joon’s second Life(以下:J) (이하:J)
私は日本に来ることが初めてなのですが、ここに来て、基本的な文化の差を少し感じました。一番に日本の人たちが私たちにたくさん配慮してくださって、とても楽にツアーができ、快適に過ごせたのがとてもありがたかったです。またライブの際にもしっかりとサポートしていただき、みなさんの音楽を楽しむ気持ちをたくさん感じて、演奏していてとても気分が良かったです。そして先ほどの続きにもなると思うのですが、日本の音楽の現場をたくさん見ることはできませんでしたけど、横浜と登米の公演で交流した人たちの考えを聞いてみたら、各地の音楽シーンや、各地のDJやアーティストを皆さん互いに気にかけているのがわかり、私たちの国の音楽シーンもそういった部分を学ぶ必要があるのではないかと思いました。いい機会をくださって感謝していますし、これからも度々日本に来て交流できたら嬉しいです。
저는 일본에 오는 것이 처음인데, 여기 와서 기본적인 문화 차이를 조금 느꼈습니다. 첫번째는 일본인들이 저희를 많이 배려해주셔서 너무 편하게 투어를 할 수 있고 편안하게 지낼 수 있었던 것 같아서 너무 감사했습니다. 또 라이브 때도 잘 서포트해 주셔서 여러분의 음악을 즐기는 기분을 많이 느끼고 연주하고 있어서 너무 기분이 좋았습니다. 그리고 아까의 연속이지만, 일본 음악 현장을 많이 보지는 못했지만 요코하마와 토요마 공연에서 교류한 사람들의 생각을 들어보니 각지의 음악 장면이나 각지의 DJ나 아티스트를 여러분들이 서로 신경쓰고 있는 것을 알 수 있었고, 우리나라의 음악 씬도 그런 부분을 배울 필요가 있지 않을까 생각했습니다. 좋은 기회를 주셔서 감사하고, 앞으로도 자주 일본에 와서 교류할 수 있었으면 좋겠습니다.
Y:昨晩のDJがかけた曲の多くは、私たちも普段から聴いています。横浜で共演した森俊之さん、お世話いただいたMocさん、PAのJさん、そして今日出会った登米の人たちが同じような音楽が好きで、世代や性別や国籍など関係なくみんなが同じであることを感じ、一つになって楽しめたことが嬉しかったです。
어젯밤 DJ가 틀었던 곡의 대부분은 우리도 평소에 듣고 있습니다.요코하마에서 공동 출연한 모리 토시유키 씨, 신세진 Moc 씨, PA Jay 씨, 그리고 오늘 만난 토요마의 사람들이 같은 음악을 좋아해서 세대나 성별이나 국적 등에 관계없이 모두가 같다는 것을 느끼고 하나가 되어 즐길 수 있어서 기뻤습니다.
S:私ももう一つあります。これからは私たちだけが楽しむのではなく、次の世代にもこうした文化をよく知ってもらうことが重要だと思っています。私たちもそういった事に関心を持ち始めています。こうした文化を経験した人たちからも教えられていますが、私たちも次の世代に伝えていかなければならないと思っています。そういったところで悩むことが普段から多いですが、ここCAFE GATIに来て、こういった文化の継承を長い間されていることがとても印象深く、感動的でした。
저도 하나 더 있어요. 앞으로는 우리만 즐기는 것이 아니라 다음 세대도 이런 문화를 잘 알게 하는 것이 중요하다고 생각합니다.저희도 그런 것들에 관심을 갖기 시작했어요.이런 문화를 경험한 사람들로부터도 배우고 있지만, 우리도 다음 세대에 전해나가야 한다고 생각합니다.그런 부분에서 고민하는 게 평소에도 많은데 여기 CAFE GATI에 와서 이런 문화 계승을 오랫동안 하신 게 너무 인상깊고 감동적이었어요.
---日本人にとって、韓国の音楽の入り口はK-POPであることが多いです。近年、K-POPを通じて韓国の音楽シーンを知ることが多くなったわけですが、まさか、Soul Deliveryのようなオリジナリティをもって、K-POPとは全く違うアプローチや表現をしている人たち、世代がいるということにとても驚きました。
---일본인에게 한국 음악의 입구는 케이팝인 경우가 많습니다.최근에 K-POP을 통해 한국의 음악 신을 알게 된 것이 많아졌는데, 설마 Soul Delivery 같은 오리지널리티를 가지고 K-POP과는 전혀 다른 접근이나 표현을 하고 있는 사람들, 세대가 있다는 것에 너무 놀랐습니다.
J:韓国では私たちだけではなく、オリジナルな活動をしているチームもたくさんあります。そうした日本のチームもたくさんあるようですし、交流があればいいなと思います。
한국에서는 저희뿐만 아니라 오리지널 활동을 하고 있는 팀도 많이 있습니다. 그런 일본 팀도 많이 있는 것 같고, 교류가 있으면 좋겠다고 생각합니다.
---日本はメジャーな音楽だけじゃないシーンもものすごくたくさんあると思います。その多くは海外を意識して活動しているわけではなく、必ずしもグローバルではないと言えます。ですが、音楽に限らず、韓国の表現は常に開いていてグローバルであるという印象です。
---일본은 메이저 음악만이 아닌 신도 굉장히 많다고 생각합니다.그 대부분은 해외를 의식해 활동하고 있는 것은 아니며, 반드시 글로벌한 것은 아니라고 할 수 있습니다.하지만 음악뿐만 아니라 한국 표현은 항상 열려 있고 글로벌하다 라는 인상입니다.
J:私が感じたのは、日本の音楽市場は世界で2番目に大きいわけで、私たちの国のミュージシャンは国内市場が小さいので、仕方がなく、グローバルに出ていかないと、という考えになったのではないかと思います。
제가 느낀 것은, 일본 음악 시장은 세계에서 두 번째로 크고, 우리 나라 뮤지션은 국내 시장이 작기 때문에 어쩔 수 없이, 글로벌로 나가야 한다는 생각이 들지 않았나 생각합니다.
Y:最初に私たちがチームを作る時に、韓国で自分たちの音楽性を受け入れるリスナーはいないのではないか、と思っていました。むしろ海外で聴いてもらえるのではないかと思って、海外で活動しているチームのようになりたいと思いました。
처음에 우리가 팀을 만들 때 한국에서 우리 음악을 듣는 사람은 없지 않을까 생각했어요. 오히려 해외에서 들을 수 있지 않을까 해서 해외에서 활동하는 팀처럼 되고 싶다는 생각이 들었어요.
---今回のツアーで特に印象に残ったことはなんですか?
---이번 투어에서 특히 인상 깊었던 것은 무엇입니까?
H:まず私たちは韓国で私たちのようなバンドやDJが集まって一緒に公演するのですが、横浜~登米と、どこに行っても自分たちと同様のことをやっている人たちがいるということが、印象的でした。韓国では年上の人は先生?教授?しかいないけど、ここにいる先生たちが私たちを応援してくれて感動的でした。今まではあまり出会わなかった世代とここで出会えたことが嬉しかったです。
우선 우리는 한국에서 우리 같은 밴드나 DJ들이 모여서 같이 공연하는데 요코하마~토요마랑 어딜 가나 자신들과 똑같은 것을 하는 사람들이 있다는 것이 인상적이었어요. 한국에서는 나이든 사람이 선생님? 교수님? 밖에 없지만, 여기 있는 선생님들이 저희를 응원해 주셔서 감동적이었습니다. 그동안 자주 만나지 못했던 세대를 이곳에서 만나게 된 것이 기뻤습니다.
---”先生”とはどういう存在ですか?
---선생님이란 어떤 존재인가요?
H:年上なんですが、いろいろと応援してくれて、助言してくれる人、親しくしてくれる人です。そういった人が韓国にはあまりいません。
연상의 사람인데, 여러가지로 응원해주고, 조언해주는 사람, 친하게 대해주는 사람입니다.그런 사람이 한국에는 별로 없어요.
Y:同じものを好きで先に経験した先輩のような方々だと思っていただければ。なので、今回の経験で、私たちがこれからやらなければならない事を考える機会になりました。
같은 것을 좋아하고 먼저 경험한 선배 같은 분들이라고 생각하시면 됩니다. 그래서 이번 경험으로 우리가 앞으로 해야 할 일들을 생각할 기회가 되었습니다.
J:私が印象的だったのは日本の文化なのかわからないのですが、全般的に多くの細部に気を使っていることが印象に残っています。ハウンも話していましたが、キーボードスタンドの角度一つ一つを気にかけてくれてたり。真田さんも撤収のときに見つけた機材の小さなノブをわざわざ届けてくれたり。ここでは一つ一つディテールも気にかけるんだなと感じました。韓国の場合、目的達成のためにダイレクトに進むという傾向があります。日本は細かいところを一つ一つ積み重ねながら、目的のためにやっているように感じ、そのことが印象に残っています。
제가 인상적이었던 것은 일본의 문화인지 모르겠지만, 전반적으로 많은 세부 사항에 신경을 쓰고 있는 것이 인상에 남습니다. 하은이도 얘기했는데 키보드 스탠드 각도 하나하나를 신경 써주고, 사나다 씨도 철수할 때 발견한 기자재의 작은 노부를 일부러 배달해 주는 것도. 여기서는 하나하나 디테일도 신경쓰는구나라는 생각이 들었어요. 한국의 경우 목적 달성을 위해 직접 진행하는 경향이 있습니다. 일본은 세세한 부분을 하나하나 쌓으면서 목적을 위해 하고 있는 것처럼 느껴졌고, 그것이 인상에 남아 있습니다.
S:私が印象的だったのはさっき話した事ですが、このコミュニティが印象的でした。DJもいて、料理をする人もいて、家族もみんな来てこのコミュニティが作られている。むしろ、どのような考えでこのようなコミュニティをお作りになったのかを聞いてみたいです。
제가 인상적이었던 것은 아까 이야기한 있겠지만, 이 커뮤니티가 인상적이었습니다.DJ도 있고 요리하는 사람도 있고 가족들도 다 와서 이 커뮤니티가 만들어지고 있어요.오히려 어떤 생각으로 이런 커뮤니티를 만드셨는지 물어보고 싶습니다.
---とても鋭い、重要な話だと思います。私はコミュニティなければ、何も育たないと思っています。自分たちの好きな音楽に共感してくれる人たちを増やしたり、次世代を育てるためにはコミュニティがなければならないと考えています。文化を支える、蓄積させる前提だと思っています。それを育むのはとても困難を伴いますが、少しずつ積み重ね、継続していくことでしか生まれないものだと思います。私がイメージしたり、先行例と思っているのは、長く続いているヒップホップのクルーとか、ロンドンのtomorrow’s warriorsのようなスクールであるとか、国内外の歴史あるレーベルやベニューです。
---너무 중요한 이야기라고 생각합니다.저는 커뮤니티 없이는 아무것도 자라지 않는다고 생각합니다. 자신들이 좋아하는 음악에 공감해주는 사람들을 늘리거나 다음 세대를 키우기 위해서는 커뮤니티가 있어야 한다고 생각합니다. 문화를 지탱하고 축적시키는 전제라고 생각합니다. 그것을 키우는 것은 매우 어려움을 수반하지만, 조금씩 쌓아 계속해 나가는 것으로만 태어나는 것이라고 생각합니다. 제가 이미지화하거나 선행 사례라고 생각하는 것은 오래 지속되고 있는 힙합 크루라든가 런던의 Tomorrow’s warriors 같은 스쿨이라든가 국내외의 역사 있는 레이블이나 베뉴입니다.
J:これから私たちが韓国でそのようなコミュニティを作っていきたいので、力になってもらえるのであれば、連絡してもいいですか?
앞으로 우리가 한국에서 그런 커뮤니티를 만들어 가고 싶은데 도움이 된다면 연락드려도 될까요?
---もちろんです(笑)
私たちも何も達成できているわけではないので、一緒に進んでいきましょう!
---물론이죠
우리도 아무것도 달성하지 못했으니 함께 나아가요!
Y:おかげでとてもいい時間でた。
좋은 시간이었습니다.
Soul Delivery:ありがとうございました!
감사합니다!
COMA-CHI・uyama hiroto インタビュー
COMA-CHI・uyama hiroto インタビュー
2023年4月29日 土曜日
著作者 森波実行委員会 真田
イベント名:Yin Yang Japanoia LIVE
ジャパニーズフィメールラッパー、スピリチュアルウーマン、COMA-CHI。長年Nujabesを支え、マルチプレイヤー、プロデューサー、uyama hiroto。お二方が制作されたアルバム、『Japanoia』それを主体としたライブを、 CAFE GATIにて行った。ジャズを主軸に構成されたビートに、民謡の歌い回しを 織り交ぜたラップで、日本らしさを表現。真新しいアプローチを体感した。
その翌日、お二方にインタビューをさせて頂きました。
以下、C:COMA-CHI U:uyama hiroto S:真田
アルバム『Japanoia』について
S:
2020年リリースアルバム『Japanoia』制作された経緯をお聞かせください。
C:
最初の出会いが2017年の横須賀のイベントで…
U:
うちの地元のね!
C:
初めて会ったんですよね!その前から宇山さんも、私の曲聞いてくれてて、その時何かしらちょっと今度一緒にやろうよ!みたいな話はしてて、その後一年ぐらい放置wwwなかなか進まなくて…
U:
進まないと言うか、各々の動きがあったからね。
C:
私が、2018年の終わりぐらいにオーストラリアにレコーディングで行った時に、滞在2ヶ月ぐらいしてて、1ヶ月経ったぐらいですごいホームシックというか、その日本シックになって自分、こんなに日本好きだったってなって、急に民謡とか ずっと聞き始めちゃって、日本感じる音をすごい聞くようになって、その時にあ!そういえば宇山さんの曲って、日本らしさ凄いある音だったなと思って、聞いてて凄いその時、自分が表現したい事に嵌まって、久しぶりです。降りてきちゃったんで作りませんか?と連絡して。
U:
そう!『freeform jazz』っていうね、アルバムがあるんですけど、そのアルバムを聞いてなびいてくれてw
女性であのアルバムでなびくっていうのが、なかなか、無いじゃないですか。それで『freeform jazz』聞いて、ちょっとやられましたって、連絡きて。
C:
そう!まさに私がこういう音楽を表現したいっていうのを作っていらして、その時にちょうど、オーストラリアで日本を思いながら歌ってたら、昨日やってたみたいな♪はぁああぁ~ん~ん~(民謡調に) みたいなところをにジャズ、R&Bに乗せたりとかする実験をもうやってたんで、これ結構いけるなと思っててそれで一緒に曲作ったら、いいの出来るんじゃないかなって。
S:
スタイルとして新しいですよね。偏りがないというか、民謡だけで表現するのではなくて、ジャズ、HIPHOPを織り交ぜて日本を表現しようというのは。
U:
そうですね。あえて、和楽器使わずにジャズで、日本っぽいことをしています。まあその『freeform jazz』の延長上にあるのが『Japanoia』です。
S:
とても素晴らしい作品だと思いました。
お二人の今後について
S:
今後の動きについて、お聞かせ下さい。
C:
5月13日にUKのトラックメーカーのClap!Clap!と3曲入りのEPをリリースします。後、新しいアルバムで『Japanoia』とかで、経験したことをさらに日本の伝統楽器、お琴とか、尺八とか三味線とか、取り入れて更に面白いことができないかな。っていう実験をしていこうと思ってて、そのアルバム、ドキュメンタリー映像 をクラウドファンディングを利用して、制作していこうと思ってます。
U:
私の方は、あちこち回って新しいの作ってます。って言って、結構長引いちゃったアルバムがもうほぼほぼ完成していて、大事な人と一緒に聞いている時に今、このテンションじゃないって早送りとかされちゃわない。もう、いい感じの人と一緒にいる時に流しとけば、時間を忘れてしまう。そんなアルバム作りたくて。
C:
かなり、オブラートに包んでますけどw ベットタイムとかねw
U:
そう!海とかでのんびりでもいいし。時代と逆行してるんですけどね。そんな感じのアルバムと、これからのCOMA-CHIと私の動きの中で1個考えてるのは前者のアルバムは、基本生音ベースな感じで作ってるんで、ビートに戻ってビートでCOMA-CHIと私の作品を作れたらなと。
C:
いろいろ作りたいよね。昨日もライブでドラムとピアノでセッションしてたじゃないですか。 ああいう感じもやりたいし、自分のドラムを宇山さんに調理してもらって。
U:
そのまま、ライブレコーディングしてもいいよね!そんな感じです。
S:
本日はありがとうございました。また是非、CAFE GATIでライブをしに来て下さい。
現在、COMA-CHIさんは日本伝統と触れ合い、自身も三味線を習い見識を深めている。クラウドファウンディングの企画では、COMA-CHI、uyama hiroto、そして注目すべきは 近年、Shing02のバックDJも務める。サウンドクリエイター兼DJ ターンテーブリストの SPIN MASTER A-1とのコラボレーションが行われるようです。常に歩み続けている。日本伝統音楽とJAZZ、HIPHOPの融合。今後の動向から、目が離せない。
笹久保 伸 インタビュー
笹久保 伸 インタビュー
September 25, 2022
2022年9月24日にCAFE GATIにて「笹久保 伸」初ライブを森波実行委員会で開催しました。その翌日に30作目の「CHICHIBU」からの制作に関してのインタビューにお答えいただきました。
森波実行委員会:
30作目「CHICHIBU」の製作についてお聞きしたいのですが、今回の「CHICHIBU」ではデータのやり取りで制作されたとのことですが、共演者と同じスタジオでセッション的に制作することとの違いはありますか?
笹久保 伸:
よくセオリー的にはスタジオでセッション的に制作した方が良いものが作れると思われているところがあると思いますが、個人的にはそんなことはないと思っていて、本人にグルーブがあればそれに重ねるだけなので、それを今回証明したいと思っていました。結果的に違和感のないナチュラルなものなったと思います。あと、リモートでの制作の方が早いということもあります。2020年はコロナ禍で移動ができなかったので、必然性もありました。
森波実行委員会:
21歳から26歳までペルーで音楽を学ばれていたとのことですが、ペルー音楽とはどんな音楽なのかお聞かせください。
笹久保 伸:
サイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」という曲が1970年代に日本で大ヒットして、フォルクローレというワールドミュージックのジャンルが広まりました。
僕がペルー音楽をやることになったきっかけは、当時父親がJICAの職員としてペルーの病院に勤務していて、その時0歳から1歳までペルーに住んでいました。ペルーに住んでいるときに父が現地のカセットテープを買っていたんですが、日本に帰ってきてからもそのカセットテープを聴きながら育ったので自然とペルー音楽が好きになりました。もし父親がブルースやロックを聴いていたら違っていたかもしれないし、ジャマイカに行っていたらレゲエを好きになっていたかもしれないただそれだけのことなんですよね。
僕の住んでいるところは埼玉県の秩父という田舎町なんですけど、楽しいことがなくていつも音楽を聴いて練習していました。遊ぶところがあったら音楽をやらなかったと思いますけど(笑)。今となっては環境が良かったと思います。
森波実行委員会:
昨日のライブのMCで「変わっていくことに抵抗がない」と話されてましたが、最新作のMount Analogueはバンド形式での作品ですが今までとかなり違う作品になるのでしょうか?
笹久保 伸:
かなり違う作品になると思います。元々は一人でクラシックギターを弾く独奏というスタイルでやってきました。普通のクラシックも弾きますし、ジョン・ケージに代表されるクラシックの現代音楽も演奏していました。僕は色々な音楽を聴いて影響されるので根っこはありますが、変わっていくことに抵抗はないですね。逆に一つのジャンルに縛られたくないし、ジャンルの名前に埋没していくような音楽を作りたくないですよね。ミュージシャンだとそのジャンルと違うことをやると喜ばれないんじゃないかというマインドが働くんですけど、そこを捨てたいんですよね。売れてしまったらそこを期待されるので違うことができなくなっていくですけど、幸いにして売れてないので(笑)、変わっていかざるをえないですね。過去の偉人のマイルス・デイビスも最初と最後では全然違う分けじゃないですか。フュージョンぽかったり、デジタルぽかったり変わっていく方が自然なんだと思います。時代は変わるし自分も変わるし、若い子たちが聴いている音楽を聴いてかっこいいと思ったり、音楽家・クリエーターとして流行を追うということではなくてその新しい感覚に気づいていきたいですね。
Mount Analogueは今までやってきたことと全然違います。ブラジル人の若いピアニストとドラマーとアルゼンチン人でアルゼンチン音響派という音楽シーンの中心人物と1980〜90年代のフランスの前衛シーンのジョセフ・デュモランとも演奏しています。良い写真家の文章を読んでいると「被写体に左右されない写真を撮る」と言っている人がいて、自分の表現に左右されない音楽を作っていきたいですね。
森波実行委員会:
CHICHIBUからMount Analogueまでmarucoporoporoさん以外は外国人とセッションされていますが、日本人でセッションしたい人はいますか?
笹久保 伸:
楽器を演奏する人でも歌手でもトラックメーカーでもずっと探しています。今は30代後半ですけど、自分が10〜20代の時は先輩のアーティストの音楽に憧れていたんですけど、逆に若い子たちの音楽を聴くと自分では聞いたこともない本当の意味で想像できない音楽をやっていてショックを受けることもあります。30代半ばから若い子たちに学ぶことが多くなりましたが、なかなか出会うことが少ないです。それはやっぱり日本はジャンルの壁があるっていうか、クラシックギタリストがラッパーに声をかけて一緒にやるってこと感じにならないじゃないですか。そういうのがなくなったらいいなと思いますよね。むしろこの人とやった方がいいとか教えてください(笑)
取材・執筆:森波実行委員 沼田 健太郎
撮 影:森波実行委員 真田 敬弘
Coastlines インタビュー
Coastlines インタビュー
August 20, 2022
森波2020のActから2年、2ndフルアルバム”Coastlines 2”をリリース。森舞台からCAFE GATIへ場所を移し、夕暮れの風に揺れる稲穂をこの日はまるで海岸線の波のように変えたCoastlines。”Coastlines 2”制作そして今後の予定など、池田正典さん(以下N)、金子巧さん(以下T)のお二人に話を聞いた。
N:まぁ、あそこがいいんだよね(笑)
T:Coastlinesは駒沢で産まれています(笑)
N:割とザックリしたアイデアっていうのを溜めてあって。何回か会って、オケを作ってからソロをはめるっていう。
T:ほんと、アイデアはもうノリさんの中で溜まってて、それは普段の生活、もちろんDJもそうだし。それで聴かせてくれて「これいいっすね」ってなると「これにこっちのレコードのこれが合うんだよね」ってもうノリさんの頭の中ではそこまで出来てて。でちょっとアレンジして弾いてみたいな。
N:1stのBE WITHからの海外版がリリースされて同時に世の中的にコロナ真っ只中になってしまい。。そんな中で海外から面白い企画のオファーがあって、それが諸々終わってからだから。。でも今回は色々な情勢で結局流れちゃって。元々はそれ用に作ったのも数曲かあって、今回はよりライブラリーっぽい感触があるのはそのせいもあります。
取材・執筆:森波実行委員 菅原 和彦
撮 影:森波実行委員 真田 敬弘