矢部さんに言えなかったこと——追悼にかえて

CAFE GATI店主/森波実行委員会の柴田です。GATIでも森波でも大変お世話になった矢部直さんが7月25日に逝去されました。田舎住まいのひとりのリスナーであり、単なる音楽ファンに過ぎなかった私が、店を開き、音楽の場を作ることになった根底には、矢部さんから受けた様々な影響がありました。書かずにはいられなかったので、書かせてもらいます。

2016年だったと思います。ネット配信の番組を観ていたら、チームラボの猪子寿之氏が葛飾北斎をはじめとする浮世絵をモチーフにしたデジタルアートを発表したとのこと。近代以前の日本人の世界の見え方とは、西欧的な遠近法とは異なったそれだったのではないか。平面的に描かれた対象物がそれぞれ独立し、それらが重なり合って奥行きをなす。それが日本の人々にとってのリアルな空間認識だったのではないか、という仮説から生まれたという作品でした。

私自身、なるほどなるほど、確かにそれってあるかも…と思うと同時に、「でも、これって矢部さんじゃね?」とすぐに思ったのでした。写実と遠近感でリアルを感じさせるのではなく、平面的に見える対象がひたすら折り重なり空間をかたちづくる。矢部さんの楽曲やDJは、まさにそのコンセプトに重なると感じたのです。「2.5Dの世界」とでも言えばいいのでしょうか。

黒澤明は撮影時に莫大な数の照明機材を使っていたそうです。そのボリュームは、黒澤組が撮影所に入ると電力不足になるほどだったとか。なぜそんなに照明が必要だったか。それはレンズの絞りを限界まで狭め、被写界深度をギリギリまで深くするために大量の光源が必要だったからといわれます。簡単に言えば、映るもの全てに焦点が合っている絵を欲していたということ。人物も背景も全てがクリアに写り込んでいる画面構成。奥行きを圧縮し、より構図の密度を上げる。遠近感をむしろ削いでいく。

これを知ったときも再び、「これって矢部さんじゃね?」とすぐに思いました。一つの画角の中で写っているもの全てが等価に重なり合っているという点において、人物から背景のビルの窓の一つ一つまで精緻に描いた、おらが村の誇り、大友克洋大先生ともどこか重なります。

わたしが矢部さんに言えなかったこととは、このような空間認識が矢部さんの世界観そのものだと思っていたことです。もちろん、こんな妄想的でクソ生意気なことを軽々と、ご本人を前にして口にはできませんでした。何を言っているのか訳がわからないかもしれませんが、自分の感覚の中では全て通底しているのです。言葉が追いつかなくて、申し訳ありません。

もう少し補足させてください。
一見、西欧的価値観と群を抜いたセンスと手法によって世界に認められたように見えた矢部さん。いわゆる「日本人離れした」という枕がジャストな、それまで観たことも聴いたこともない表現を提示しました。野茂英雄よりも先に世界を席巻するその様は、冷戦構造崩壊後の90年代の雰囲気を象徴し、「時代は変わった!」と私はなんの疑いもなく思っていました。

しかし、雑に申し上げてしまいますが、矢部さんは「日本人離れ」どころか、上記したような北斎、黒澤らが表現した日本人的空間認識を音に、つまり時間に置き換えてしまったのではなかったか。非西欧的な世界の捉え方を持ちあわせ、それを普遍化、抽象化してしまう天才。遠近法ではないパースペクティブを北斎は「画」で黒澤は「像」で、矢部さんは「音」に落とし込んだ——と私は本気で考えていました。だからこそ、西欧のリスナーからすれば特別な表現に感じたのではないか、とも思ったのです。

アンセム「Loud Minority」が現前させた情景はそうした空間認識そのものであり、矢部さんのDJスタイルにも同様のことを感じていました。平面が重なったり、乱立したり、消えていったりして、躍動する。私はその音に「サンプリング」という手法をはるかに超えてしまっているスケールを感じました。ドラマチックというより、2.5Dのシネマチックな世界。重ねて言えば、矢部さんの表現はいつだって絵画的で映画的だったのです。

亡くなる2週ほど前に山形SANDINISTA(Pipe brothersさんの10周年)でお会いしました。その際、わたしが矢部さんに着てもらいたい一心でこの夏に作ってしまった、ACID JAZZとCTIへのオマージュTシャツを直接手渡すことができました。差し上げるとすぐに矢部さんは、そのTシャツに出店していた写漢さんのシルクプリントを重ねはじめました。そしてもう一枚のTシャツにはテープを貼り、これまた即興の「作品」に仕上げました。

「混ぜちゃうのが好きなんだよ…異種交配…これとこれが混ざったら面白いんじゃないか…オレそんなことしか考えてないんだよね…」

そんなことをニヤニヤしながら話してくれました。その日もそうでしたが、いつもさまざまな音楽、美術、文学、映画を参照し、現代アートやビートニクの偉人たちの言葉を引用しながら織りなされる会話は、一生聴いていたいくらいに艶がとんでもなく、心がビチャビチャになってしまうのです。「矢部さん、もっとしゃべって!!」って何度思ったことか。その後、DJを聴かせてもらって、自分が矢部さんにこれまで見ていたもの、感じていたものの答え合わせをしているような特別な夜でした。そのため私の両腕には終始、鳥肌がビンビンに立ち、全身が痺れに痺れてしまっていました。

シームレスに「繋ぐ」「合わせる」のではなく、直感を頼りに「混ぜる」「重ねる」。そこから生まれる新たな価値、ビジョン。音楽の無限の可能性を探究し、提示し続けてきた矢部さん。その姿勢は楽曲制作でもDJでもコラージュ作品でも一貫していたと思います。一つ一つが独立しつつ、混ざり合い、重なり合う。それはときに不協和、不調和を生むかもしれません。それでもトライし続ける。ひたすら、ひたすら…。

そこから浮かび上がる矢部さんの思想の核は「自由」というスローガンではなく、実践を通して「自由であること」だったのだと改めて思うのです。同時に「多様性」がインフレを起こしてしまったいま、矢部さんが示した「交雑」こそがクリエーションの源であるというメッセージを感じずにもいられません。

矢部さんに出会わなければ、音楽をここまで好きになることはなかったでしょう。ましてや店を開き、音楽の場を作ろうとは決して思わなかったでしょう。もうあの言葉、DJ、楽曲に触れられないと思うと、脱力してしまうし、とても胸が苦しくなります。それはそうとして、その作品は生き続け、次の世代が参照することになるでしょうし、すでにそうなっていると思います。

矢部さん、本当にありがとうございました。
世界中のTadashistの一人として、残りの時間、いただいたものを混ぜ重ねしつつ、次に伝えていきます。

CAFE GATI/森波実行委員会
柴田道文